k619k’s blog

趣味・ライフスタイル・その他

現役引退

お久しぶりです!

タイトルの通り現役引退を検討し、結論を出しました。

既に一部の方には相談させていただいておりましたが、改めてお知らせと致します。

来年2022/3/31をもって、プレーヤーとしての活動を終了することに決めました。

理由は2つです。
①今までの無理が祟って回復が追いつかない。
全身の筋肉や関節に限界が来ています。
②致命傷を負う前に、後進育成の道に進みたい。
指導者として活動するビジョンは前から持っていましたが、その時が少し早く来たようです。

今までプレーすることに使っていた熱を別の場所に持っていく。
そうやって前向きに考えるようにしていますが、やはり寂しさと後悔はあります。

とにかく引退直前にバタついて格好悪いことにならないように、しっかりと生前整理?していきます。

また、幼少の頃から今まで沢山の大人に迷惑をかけ、導いてもらいました。
感謝の気持ちを体現できるように、成長した姿を見せられるように、今後より一層がんばりたいと思います。

自分語り ポジション変遷

たまには真面目にラグビーの事でも書こうと思います。

引退を意識したところで、色々な事を思い出してる感じです。

【小学校】
僕がラグビー始めたのは7歳の時でしたね。
たまたま隣町にスクールがあったので、見学→入団となりました。
ちなみに両親ともド素人で、何故やらせようと思ったのかは分かりません。

小学1年生~5年生までプロップ
6年生はスタンドでした。
体重が60kg越えたのは4年生の時だったと思います。身長も常に1番でした。
最後にスタンドやらせてもらったのも、ボールキャリー回数増やせばサイズでゴリ押しできるからという単純な狙いからでした。

【中学校】
中学1年の夏までスタンド、そのあと県大会(3年生の最後の公式戦)で右ウイングにコンバート。
相手のプロップに足踏まれて戦意喪失してるうちにゲーム終了し、世代交代。

2年に上がる前に1センにコンバート。
そこから中学引退までずっとセンターでした。
※このあたりで170cm/70kg

【高校】
そのままセンターで入部。
毎年恒例の1年生大会で、まさかのフッカーに。。
※確か体重が重い順に数えて3番目だったから

大会終了後、パススキルの無さを指摘されフォワードに本格的に転向。
フランカーで育てられることになりました。

高2
体重も増えてきて、正式にフッカー転向。
練習試合でたまにフランカーナンバーエイトも。

高3
色々あって只のデブに。
フッカーのみならずプロップも。。
なぜか国体予選と関東スーパーリーグはロック。

公式戦出場は2番、3番、4番でした 笑

【大学】
やる気の無さは入学前から。
1年生の夏までに70kg台まで落とし、パチンコ部キャプテン兼アナリストに就任。

公式戦出場ゼロ、練習試合も多く見積もって10ゲーム以下。
4年の時には練習試合のメンバー入りを断るという伝説を達成。
「試合出ますか?」「いやです。」
これで認められるんだから大した物でしょう。

ポジションはすぐにフッカーやめて、そのあと3列(仮)として活動してた気がします。
うん、本当にプレーした記憶が無いです。
とりあえずパチンコとバイトは楽しかった。

【社会人】
半年ぐらいのブランクで競技復帰。
偶然の巡り合わせに魔が差しました。

クラブチームなので、助っ人やポジション調整なんて良くあります。

フッカー、ロック、フランカーナンバーエイトを中心に、センター、ウイングもやるようになりました。
※細かいのは省略。たぶん公式戦でプロップ以外全部やりました。


ざっと振り返ってみましたが、20数年の間に多くの人に関わってもらい、育ててもらったなと思います。
コンバートを打診される時、背番号を渡される時って必ずストーリーがあるんですよね。

また、自分がそういう機会を作る立場になったから余計にそう感じるんでしょうね。

また何か思い出したら書きます。

2020年の振り返り

久々の更新になります!
※来年はもっと頑張ります。。

少々フライング気味で振り返りしてみました!

トピックスとしては
①転職
②カネ
③ヒト
④他
かなと思います。

①転職
3/1付で今の会社に転職し、所謂キャリアアップを果たしました。
マネジメント人数は40名弱。
収支も目標達成。
当然、年収もアップ。
環境には概ね満足しています。

大学出てからのキャリアスタート時点から考えると、ハングリー精神のみでゴミから人間になれるんだなと思いました 笑

極悪ヒモニート時代は精神的に楽でしたが、個人名義で動くには弱いので。。
今の方がマシです。

②カネ
本業+副収入の仕組みができたので、
まだ大きな成果は出てませんが、今後に期待という感じです。

③ヒト
自己評価88点。
特に4月、5月あたりでしたね。
コロナ云々は関係なく積極的に歩き回り、資金繰り・経営に苦しむ人を助ける事に喜びを感じました。
(下心を完全にオープンにしたお付き合いで)
逆に関与せずに消えてもらった人もいますが。。
それはそれで好都合でした。

気まぐれで始めた有償(物品だからね!)ボランティアでしたが、信頼を得るという意味では大成功だったと言えます。

④他
まぁ、反省点ですよね。
今年はケガしかしてないです。
パフォーマンス的にも満足できなかったので、不完全燃焼でした。 
なので、しばらくはケガ治すことだけに専念します。

2021年度いっぱいでの現役引退は以前から決めていて、ここは変更ありません。
結果とか気持ちの部分は無視で、きっちり時間で終わりにします。

余命1年ちょい、先の目標を見つつ頑張りたいと思います。

以上、来年もよろしくお願いします。

キャリアと生き方⑥

すみません、更新遅くなりました!
ここ数日は社会情勢など全く関係なく、好きな物食べて、好きな所で遊んでいました。

自粛は程々に。
適当に抜くこともしないと壊れちゃいますよ!

それでは、ブログ再開します!

前回の記事では、
考え方、行動を変えてみた。
けれどもストッパーが壊れてしまい暴走、むしろ危険人物として認定された。という所まで書きました。

そこから、1年ぐらい大きくは変わらなかったと思います。
自己主張が激しくなったので、上司からは可愛がられないし、同僚からも完全に嫌われていました。
分かってはいましたが、スタンスを変えるという事だけは死んでもしたくなくて、尖ったままでいることを決めました。

労働環境も変わらない。
待遇も変わらない。
必要以上の会話をしない。

でも、以前よりは平日にラグビーをやる時間が取れるようになっていました。

こんな具合で時間が経過し、2019年3月。
例によって無意味な組織再編が始まりました。
ここで出た内示が、埼玉県の僻地への異動。
それらしい理由で説明されましたが、知ってます。
置いておくのが面倒だから、飛ばしたんでしょ。

ショックでしたね。
地元の埼玉を離れて、東京で1人暮らししてたんですよ。
勤務地の関係で住居変更したことのある人なら理解してくれると思います。
なんかもう、怒りを通り越して言葉にできないですよね。家賃補助も引っ越し手当も無い会社だから余計に頭来ました。

実家に戻れば通勤時間的には楽になります。
ですが、敢えてそうしませんでした。
わざわざ片道2時間かけての通勤を選び、家を出るタイミングで「◯す!」と言うことを毎日続けました。

内示をもらった瞬間から、辞める決意は固まっていたのです。
仕事に行って帰るだけで1日が終わることが分かってましたから。
それに、平気で休日出勤のある職場です。

最初は、すぐにでも辞めて転職と考えましたが、
どうせなら最後に痛手を負わせてから辞めたいと思い、暫く残留することになります。

・主要メンバーとして
・繁忙期を迎え
・大量の情報を持った状態で
・やむを得ない事情で
・長期離脱

このシナリオを頭の中で描いた時は、笑いが止まりませんでした。(ごめんなさい、性格悪いですね)

まぁ、自分から大切な物を奪った事への報復というやつです。

そして、じっくりとシナリオ通りに駒を進め、
離れたあとの事は知りません。
籍を置きながら転職活動して、給料ちゃんともらってましたけれど。

そして、以前から興味のあった業界でマネージャー職としてご縁を頂けたので、鞍替えすることに決めました。

※騒がれても勝てるだけの準備してありますから、堂々と書いてます!

そんなこんなで、転職時期を今年の3月に設定、前職は1月末で円満(ではない)退職をすることで決着しました。

転職後は、非常に充実しています。
本当に時間が増え、ラグビーも楽しくやらせてもらっています。
多くの障害を乗り越えながら、何とかここまで来ました。
また、これからのプランも考えていますが
それは追々発表します。

残念な事としては、かつてのチームメイトからあまり良く思われていないって事ですね。
適当にやってたのに今更なにやってんの?って感じでしょうか。すごい壁を感じてます。

でもね、ラグビーから離れたり寄ったり遠回りもして
社会人になってからでも素晴らしい出会いがあったんですよ。
それが僕の特別な経験。
分かって欲しいとは言わないし、期待もしてない。
でも、5年・10年で人って変わるんです。

だから、前だけを向いて次のプランを粛々と進めることにします。
とりあえずは、今お付き合いのある場所で色々な刺激をもらいながら、引き続き頑張ります!

このテーマでのブログは、ここで一旦おしまいです。
元々は自分の記録をつけるために書いたのですが、多くの方に読んで頂けて良かったです!
今後も別テーマでマイペースに更新していくので、よろしくお願いします。

キャリアと生き方⑤

転職してから自分の時間が確実に増えました!(実は給料も…)
と、いうわけで本日も更新していきます!

前回書かせていただいた、ラグビーリーグでの活動や香港遠征を経て、気持ちに大きな変化が起こりました。

好きな事をやる時間、自分らしくいられる場所。
心から欲するようになりました。
そんなの当たり前だと言う人もいるかもしれません。
ですが、当時の僕は「我慢するのが大人だ」と勘違いして勝手に諦めていたのです。
今ならはっきりと分かります。
やりたいことを我慢して、状況に流されているだけの大人が一番かっこ悪いと。
もちろん、何事も100%叶う訳ではありませんが、この感覚を大切にしないといけません。
欲求を諦め、思考を止めてしまうと「組織にとって都合の良い人」というキャラクター付けをされてしまいます。
また、一度そうなってしまうと、状況を変えるまでに相当なエネルギーを消費することにもなります。

香港から帰国し、職場に合流してからは本当に姿勢が変わったと思います。

・細かい工程まで、全てに疑問を持つ
・常に費用対効果を意識する
・関わる人間のステータスを把握する
・上記を踏まえ無駄なタスクを排除する
・専門スキル、知識を可視化する
 ※標準化し、手放すため

もちろん、意識的にアクションを起こしました。
形になるまでに時間を要しましたが、やって正解だったと思えます。

簡単に言ってしまえば、自分の定時退社や完全週休2日を阻害する要因を突き止めるための行動です。
こういった作業が苦手な方は、勉強してください。
参考資料は本屋さんでも売っています。
僕は賢い方ではありませんが、何とかなりましたから。きっと大丈夫です。

こうした考えを持って棚卸しをしていくと、色々と気付かされます。
僕の場合は「人」のロスが大部分を占めていました。

周りに無駄な人員はいませんか?
チーム編成は適切に行われていますか?
業務量のバランスはとれていますか?
自分だけ泥を被り、損していませんか?
当日欠勤してもチームは回りますか?

疑問だらけです。
黙々と下を向いて仕事をしていた時には見えませんでしたけれど。

今度は、課題解決の手立てを考えます。
考えが纏まったら、1つずつ潰して行きます。

ここまでの動きは悪くなかった。
そう思いたいです。

しかし、ここで大きな障害にぶつかります。
そう、ベテランの名ばかり管理職

動機が「早く帰りたいから」ではありましたが、周りにとっても確実に良いことですし、会社としては残業代の支払いが軽くなります。
完全にwin-winだと思っていたのですが…

生意気に見えたのでしょうね。
従来のルール、当たり前に意見してくる小僧が。
それに、僕の落ち度もあります。

「あの人は暇そうだから、僕の案件・得意先を引き継ぎます。」
「大丈夫です。マニュアル出来てますし、半分はRPAがサポートしてくれるんで猿でもできます。」
「手放したいのは採算悪いからです。こんなのザコにやらせて、僕は大口取りに行きたいんです。」

調子に乗って、こんな感じでしたね。
そして、不透明な理由で僻地へと左遷されることになります。

次回、左遷から復活なし、退職!
という感じで。

連日投稿にお付き合いいただき、ありがとうございます。
明日も頑張ります!



キャリアと生き方④

ブログ開設から2日目ですが、アクセス数が予想外に多くて、正直びびってます。
ちょこちょこ更新するので、引き続きよろしくお願いします。

本ページでは、今の僕を作った出会いについて書きます!

順番が前後してしまうかもしれませんが、何か新しいことをしようと考え、2017年の春頃からラグビーリーグ(13人制)を始めました。
たまたまFacebook上でイベント告知を見つけ、興味を持ったのが始まりだったかと思います。
最初は「15人制ラグビースキルアップのために」という程度の考えでしたが、不定期で開催される練習会や試合など、仕事を優先しつつも可能な限り参加しました。

ありがちな動機で参加したコミュニティでしたが、そこが本当に心地よくて。
ほとんどの人が15人制ラグビー出身ですが、リーグ、セブンス、タグ、タッチなど何でもやるんですよね。本当の意味でフットボールを楽しんでいると言えます。
その繋がりの延長で、様々な競技・団体とも接点ができたことは一生の財産です。
初めて触れる競技でも、色々教えてもらいながら、楽しい時間を共有させてもらいました。
社会人になってから、これほど素晴らしい仲間と出会えたことに感謝しなければなりませんね。

ラグビーリーグにおいて、特に大きな転機となったのが、同年11月の国際試合でした。
香港でのアウェーゲームを行うツアーで、有給を消化して会社を休まなければ参加することができません。
当初、行きたい気持ちはあったものの社畜精神が先行し、代表スコッド辞退も考えました。

また、ちょうどその時期に繁忙期を迎えたり、前述の意味のない組織再編に巻き込まれたことで練習への参加頻度は決して多くはありませんでした。
それでも、顔を出せば受け入れてくれて
現状に共感してくれる環境だったので腐らずに頑張ることができました。
同時に、このメンバーで勝ちに行きたいという気持ちがはっきりと芽生え、ツアー2ヶ月前には有給の申請と海外渡航届の提出をしました。
当然、不在の間にも仕事はあります。そのため、業務の引き継ぎを順に行いましたが、今思い出しても悲しいような辛辣な言葉で攻撃されましたね。
※中には善意の協力者、応援して下さる方もいましたが、圧倒的少数でした!

このようにして無理矢理調整したツアーでしたが、ゲームには右センターでフル出場させていただき、24-22で勝ちきることができました。
個人スタッツでは、1トライ&1アシストだったので非常に満足でした。
記念の1枚、載せておきます。

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このツアーに参加することで貴重な経験ができ、ラグビーリーグに対しても非常に前向きな気持ちになることができました。
首都圏在住メンバーとは今でも週1以上のペースで顔を合わせていますが、この先もできるだけ長く一緒にプレーしたいと思っています。

かなり要約したつもりですが、やっぱり長いですね。
次回はまた仕事を絡めて(退職までの運びなど)書いていこうかと思います!

キャリアと生き方③

【2016年 4月~】
大卒ストレート組の子たちとは2学年違いますが、同期として会社員生活を始めます。
大手企業の物流子会社で営業部に配属されましたが、ここでも色々あったわけです。
最初に入った会社には2017年秋頃までの所属でしたが、組織として大きな声では言えないことをしてしまい、営業活動を停止せざるを得ない状況になってしまいます。
救済措置として、他のグループ会社との統廃合をすることで人間を生かしましたが
これが悪夢の始まりだったのです。
短期間で組織再編、人事異動を行うことでルールが不明瞭になります。
また、人のシャッフルは人間関係でのミスマッチを生むことにもなります。
こうした風土の下、仕事をしていても先が見えない、合わない人とチームを組まされて疲弊してしまうなど様々な問題を抱えていました。

僕も例外ではなく、疲れきっていました。
目的の分からない残業、生まれ変わっても好きになれない先輩との時間…

3回、4回と社名も所属も変わり、気付いたときには生産管理の仕事をやらされていました。

ラグビーはというと、ある事情から会社のラグビー部に移籍をしました。
これも、正しい判断だったのかというと疑問が残りますが…
活動日は毎週土曜日、それなのに月1以上で土曜日出勤があります。
※公式戦ほとんど出られませんでした。
また、平日都内で行われるタグやタッチフットのイベントは、すっかりご無沙汰でした。
残業が異常でしたから。

お世話になったクラブから、苦渋の決断をしての移籍。それがこんな形になるなんて思ってもいませんでした。
※はっきり書きます。前職はスーパーラグビーやオリンピックのスポンサー企業でしたが、自社の労務管理が甘く、アマチュア競技、ましてや会社で持っている部活への参加者に十分な余暇を与えていませんでした。

辛い時期は長かったのですが、一度は死んだ身です。どんな仕打ちを受けても牙を抜かれることはありませんでした。

そして、この頃またラグビーで大切な仲間、コミュニティを得ることになります。 

今日はここまで!
また更新します!