k619k’s blog

趣味・ライフスタイル・その他

キャリアと生き方⑥

すみません、更新遅くなりました!
ここ数日は社会情勢など全く関係なく、好きな物食べて、好きな所で遊んでいました。

自粛は程々に。
適当に抜くこともしないと壊れちゃいますよ!

それでは、ブログ再開します!

前回の記事では、
考え方、行動を変えてみた。
けれどもストッパーが壊れてしまい暴走、むしろ危険人物として認定された。という所まで書きました。

そこから、1年ぐらい大きくは変わらなかったと思います。
自己主張が激しくなったので、上司からは可愛がられないし、同僚からも完全に嫌われていました。
分かってはいましたが、スタンスを変えるという事だけは死んでもしたくなくて、尖ったままでいることを決めました。

労働環境も変わらない。
待遇も変わらない。
必要以上の会話をしない。

でも、以前よりは平日にラグビーをやる時間が取れるようになっていました。

こんな具合で時間が経過し、2019年3月。
例によって無意味な組織再編が始まりました。
ここで出た内示が、埼玉県の僻地への異動。
それらしい理由で説明されましたが、知ってます。
置いておくのが面倒だから、飛ばしたんでしょ。

ショックでしたね。
地元の埼玉を離れて、東京で1人暮らししてたんですよ。
勤務地の関係で住居変更したことのある人なら理解してくれると思います。
なんかもう、怒りを通り越して言葉にできないですよね。家賃補助も引っ越し手当も無い会社だから余計に頭来ました。

実家に戻れば通勤時間的には楽になります。
ですが、敢えてそうしませんでした。
わざわざ片道2時間かけての通勤を選び、家を出るタイミングで「◯す!」と言うことを毎日続けました。

内示をもらった瞬間から、辞める決意は固まっていたのです。
仕事に行って帰るだけで1日が終わることが分かってましたから。
それに、平気で休日出勤のある職場です。

最初は、すぐにでも辞めて転職と考えましたが、
どうせなら最後に痛手を負わせてから辞めたいと思い、暫く残留することになります。

・主要メンバーとして
・繁忙期を迎え
・大量の情報を持った状態で
・やむを得ない事情で
・長期離脱

このシナリオを頭の中で描いた時は、笑いが止まりませんでした。(ごめんなさい、性格悪いですね)

まぁ、自分から大切な物を奪った事への報復というやつです。

そして、じっくりとシナリオ通りに駒を進め、
離れたあとの事は知りません。
籍を置きながら転職活動して、給料ちゃんともらってましたけれど。

そして、以前から興味のあった業界でマネージャー職としてご縁を頂けたので、鞍替えすることに決めました。

※騒がれても勝てるだけの準備してありますから、堂々と書いてます!

そんなこんなで、転職時期を今年の3月に設定、前職は1月末で円満(ではない)退職をすることで決着しました。

転職後は、非常に充実しています。
本当に時間が増え、ラグビーも楽しくやらせてもらっています。
多くの障害を乗り越えながら、何とかここまで来ました。
また、これからのプランも考えていますが
それは追々発表します。

残念な事としては、かつてのチームメイトからあまり良く思われていないって事ですね。
適当にやってたのに今更なにやってんの?って感じでしょうか。すごい壁を感じてます。

でもね、ラグビーから離れたり寄ったり遠回りもして
社会人になってからでも素晴らしい出会いがあったんですよ。
それが僕の特別な経験。
分かって欲しいとは言わないし、期待もしてない。
でも、5年・10年で人って変わるんです。

だから、前だけを向いて次のプランを粛々と進めることにします。
とりあえずは、今お付き合いのある場所で色々な刺激をもらいながら、引き続き頑張ります!

このテーマでのブログは、ここで一旦おしまいです。
元々は自分の記録をつけるために書いたのですが、多くの方に読んで頂けて良かったです!
今後も別テーマでマイペースに更新していくので、よろしくお願いします。

キャリアと生き方⑤

転職してから自分の時間が確実に増えました!(実は給料も…)
と、いうわけで本日も更新していきます!

前回書かせていただいた、ラグビーリーグでの活動や香港遠征を経て、気持ちに大きな変化が起こりました。

好きな事をやる時間、自分らしくいられる場所。
心から欲するようになりました。
そんなの当たり前だと言う人もいるかもしれません。
ですが、当時の僕は「我慢するのが大人だ」と勘違いして勝手に諦めていたのです。
今ならはっきりと分かります。
やりたいことを我慢して、状況に流されているだけの大人が一番かっこ悪いと。
もちろん、何事も100%叶う訳ではありませんが、この感覚を大切にしないといけません。
欲求を諦め、思考を止めてしまうと「組織にとって都合の良い人」というキャラクター付けをされてしまいます。
また、一度そうなってしまうと、状況を変えるまでに相当なエネルギーを消費することにもなります。

香港から帰国し、職場に合流してからは本当に姿勢が変わったと思います。

・細かい工程まで、全てに疑問を持つ
・常に費用対効果を意識する
・関わる人間のステータスを把握する
・上記を踏まえ無駄なタスクを排除する
・専門スキル、知識を可視化する
 ※標準化し、手放すため

もちろん、意識的にアクションを起こしました。
形になるまでに時間を要しましたが、やって正解だったと思えます。

簡単に言ってしまえば、自分の定時退社や完全週休2日を阻害する要因を突き止めるための行動です。
こういった作業が苦手な方は、勉強してください。
参考資料は本屋さんでも売っています。
僕は賢い方ではありませんが、何とかなりましたから。きっと大丈夫です。

こうした考えを持って棚卸しをしていくと、色々と気付かされます。
僕の場合は「人」のロスが大部分を占めていました。

周りに無駄な人員はいませんか?
チーム編成は適切に行われていますか?
業務量のバランスはとれていますか?
自分だけ泥を被り、損していませんか?
当日欠勤してもチームは回りますか?

疑問だらけです。
黙々と下を向いて仕事をしていた時には見えませんでしたけれど。

今度は、課題解決の手立てを考えます。
考えが纏まったら、1つずつ潰して行きます。

ここまでの動きは悪くなかった。
そう思いたいです。

しかし、ここで大きな障害にぶつかります。
そう、ベテランの名ばかり管理職

動機が「早く帰りたいから」ではありましたが、周りにとっても確実に良いことですし、会社としては残業代の支払いが軽くなります。
完全にwin-winだと思っていたのですが…

生意気に見えたのでしょうね。
従来のルール、当たり前に意見してくる小僧が。
それに、僕の落ち度もあります。

「あの人は暇そうだから、僕の案件・得意先を引き継ぎます。」
「大丈夫です。マニュアル出来てますし、半分はRPAがサポートしてくれるんで猿でもできます。」
「手放したいのは採算悪いからです。こんなのザコにやらせて、僕は大口取りに行きたいんです。」

調子に乗って、こんな感じでしたね。
そして、不透明な理由で僻地へと左遷されることになります。

次回、左遷から復活なし、退職!
という感じで。

連日投稿にお付き合いいただき、ありがとうございます。
明日も頑張ります!



キャリアと生き方④

ブログ開設から2日目ですが、アクセス数が予想外に多くて、正直びびってます。
ちょこちょこ更新するので、引き続きよろしくお願いします。

本ページでは、今の僕を作った出会いについて書きます!

順番が前後してしまうかもしれませんが、何か新しいことをしようと考え、2017年の春頃からラグビーリーグ(13人制)を始めました。
たまたまFacebook上でイベント告知を見つけ、興味を持ったのが始まりだったかと思います。
最初は「15人制ラグビースキルアップのために」という程度の考えでしたが、不定期で開催される練習会や試合など、仕事を優先しつつも可能な限り参加しました。

ありがちな動機で参加したコミュニティでしたが、そこが本当に心地よくて。
ほとんどの人が15人制ラグビー出身ですが、リーグ、セブンス、タグ、タッチなど何でもやるんですよね。本当の意味でフットボールを楽しんでいると言えます。
その繋がりの延長で、様々な競技・団体とも接点ができたことは一生の財産です。
初めて触れる競技でも、色々教えてもらいながら、楽しい時間を共有させてもらいました。
社会人になってから、これほど素晴らしい仲間と出会えたことに感謝しなければなりませんね。

ラグビーリーグにおいて、特に大きな転機となったのが、同年11月の国際試合でした。
香港でのアウェーゲームを行うツアーで、有給を消化して会社を休まなければ参加することができません。
当初、行きたい気持ちはあったものの社畜精神が先行し、代表スコッド辞退も考えました。

また、ちょうどその時期に繁忙期を迎えたり、前述の意味のない組織再編に巻き込まれたことで練習への参加頻度は決して多くはありませんでした。
それでも、顔を出せば受け入れてくれて
現状に共感してくれる環境だったので腐らずに頑張ることができました。
同時に、このメンバーで勝ちに行きたいという気持ちがはっきりと芽生え、ツアー2ヶ月前には有給の申請と海外渡航届の提出をしました。
当然、不在の間にも仕事はあります。そのため、業務の引き継ぎを順に行いましたが、今思い出しても悲しいような辛辣な言葉で攻撃されましたね。
※中には善意の協力者、応援して下さる方もいましたが、圧倒的少数でした!

このようにして無理矢理調整したツアーでしたが、ゲームには右センターでフル出場させていただき、24-22で勝ちきることができました。
個人スタッツでは、1トライ&1アシストだったので非常に満足でした。
記念の1枚、載せておきます。

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このツアーに参加することで貴重な経験ができ、ラグビーリーグに対しても非常に前向きな気持ちになることができました。
首都圏在住メンバーとは今でも週1以上のペースで顔を合わせていますが、この先もできるだけ長く一緒にプレーしたいと思っています。

かなり要約したつもりですが、やっぱり長いですね。
次回はまた仕事を絡めて(退職までの運びなど)書いていこうかと思います!

キャリアと生き方③

【2016年 4月~】
大卒ストレート組の子たちとは2学年違いますが、同期として会社員生活を始めます。
大手企業の物流子会社で営業部に配属されましたが、ここでも色々あったわけです。
最初に入った会社には2017年秋頃までの所属でしたが、組織として大きな声では言えないことをしてしまい、営業活動を停止せざるを得ない状況になってしまいます。
救済措置として、他のグループ会社との統廃合をすることで人間を生かしましたが
これが悪夢の始まりだったのです。
短期間で組織再編、人事異動を行うことでルールが不明瞭になります。
また、人のシャッフルは人間関係でのミスマッチを生むことにもなります。
こうした風土の下、仕事をしていても先が見えない、合わない人とチームを組まされて疲弊してしまうなど様々な問題を抱えていました。

僕も例外ではなく、疲れきっていました。
目的の分からない残業、生まれ変わっても好きになれない先輩との時間…

3回、4回と社名も所属も変わり、気付いたときには生産管理の仕事をやらされていました。

ラグビーはというと、ある事情から会社のラグビー部に移籍をしました。
これも、正しい判断だったのかというと疑問が残りますが…
活動日は毎週土曜日、それなのに月1以上で土曜日出勤があります。
※公式戦ほとんど出られませんでした。
また、平日都内で行われるタグやタッチフットのイベントは、すっかりご無沙汰でした。
残業が異常でしたから。

お世話になったクラブから、苦渋の決断をしての移籍。それがこんな形になるなんて思ってもいませんでした。
※はっきり書きます。前職はスーパーラグビーやオリンピックのスポンサー企業でしたが、自社の労務管理が甘く、アマチュア競技、ましてや会社で持っている部活への参加者に十分な余暇を与えていませんでした。

辛い時期は長かったのですが、一度は死んだ身です。どんな仕打ちを受けても牙を抜かれることはありませんでした。

そして、この頃またラグビーで大切な仲間、コミュニティを得ることになります。 

今日はここまで!
また更新します!

キャリアと生き方②

①の続きです。
ファーストキャリアから長文で申し訳ないです…

2014年の秋頃、僕が卒業したラグビースクールのコーチから頼まれ、ジュニア指導に行く機会を頂きました。「まぁ、世話になった人だしな…」という程度の気持ちでしたが、特に迷うこともなく承諾し、指示されたグラウンドへ向かいました。
すると、アナウンスのミスがあったとのこと。
僕が到着したグラウンドに子供たちは来ません。
待っていても仕方がないので、帰ろうとしました。
しかし、ふと遠くの方に目を向けるとラグビーをやっている大人の集団を見つけました。
この時、何を考えていたのかは覚えていません。
ですが気がついたら自分からコンタクトを取りに行っていました。
このクラブが、ラグビーに復帰するきっかけを与えてくれた「音羽クラブ」です。
ふらっと現れた小僧を何も疑わずに受け入れてくれ、練習に参加させてもらいました。
とても良い雰囲気で、その日のうちに入部を申し込んでいました。
二度とラグビーをやらないと決めて半年程度。
本当はやりたかったのです。
ただ、真剣に向き合わない姿勢をとることで言い訳を続けていた自分がいました。

23歳の秋。今でも鮮明に覚えています。
すぐに公式戦が始まってから、背番号8を渡されました。
ブランクのせいもあってか、この8番がとても重く感じました。ですが、それ以上に期待をかけてくれている人がいること、励ましてくれる仲間がいることでシーズンを乗りきることができました。
また、シーズンが終わる頃には、学生時代よりずっと前向きな気持ちでプレーしていました。

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この環境で得られたことは、ラグビーだけに限らず社会人としてのキャリアを考える場にもなりました。
多くの大人が集まるコミュニティだからこそ、貴重な話を沢山聞くことができます。
何度か相談にも乗ってもらい、今の仕事を続けるべきか、離れて新しい環境へチャレンジするべきかを考え、答えを出しました。

「教員の仕事は今年度一杯で終わりにしよう」
こうして自分のなかで納得し、次へのステップへと進みます。


【2015年 3月】
任期更新をせず最初のキャリアを終わらせた僕がいました。
両親への説得が一番のヤマだと踏んでいましたが、理解を得るのに時間はかかりませんでした。
このあと、社会人2年目ともなれば住民税なども発生し、支払いが増えます。
恥ずかしながら、このような仕組みを全く知らずに仕事を辞めると宣言したのです。
にも関わらず、両親は利息なしの借金で良いと、金銭面のサポートまでしてくれました。

この時期から、既卒というレッテルが貼られた状態での民間新卒採用狙いの就職活動を始めました。

20代の過ごし方は、正社員として働き、世間からの承認を得ること。社内外に関わらず人脈を広げること。余暇を使ってラグビーを全力でやること。
普通のようで難しい、かっこいい大人になりたかったのです。

就職活動は難航しましたが、11月頃には行き先が決まりました。確かエントリーだけなら三桁、選考に進んだのが50社ぐらいだったでしょうか。
※自分で書くのも微妙ですが、新卒カードは本当に大事です。面接で何度も奇異の目を向けられ、つまらない問答を繰り返しましたから…


また、この間にもラグビーは続けることができ、
就職活動期間も多くの人に支えて頂きました。

このあと、③では会社員として再開したキャリアを書いていきます!

キャリアと生き方①

初投稿です。
少々重いテーマに見えますが、大した話ではありません。「この記事を多くの人に読んで貰いたい」「共感して欲しい」というのではなく、自分の振り返りを文書化して、ブレそうな時に再確認するツールにしたかった…という所です。(たまには真面目モードでね!)

自分を見つめる・行動を振り返るということは、実はあまりしません。
ただ、直近の出来事として「転職」というイベントがありましたので、転職活動→内定→前職を退社→転職先へという流れの中で、嫌でも考えなければならない時間が発生しました。
意図してやったことではありませんが、
結論として非常に良い機会になったように思います。

ここから先は、大学卒業から現在までの歩みを順を追って書いていきます。
長くなるので良いところで区切って更新します。

【2014年 4月】
4年制の大学を卒業し、この年の春から社会人となりました。
※正直、ここの話が一番かっこ悪くて
社会人のキャリアとしてカウントして良いのかを躊躇うほどのものです。

最初に就いた仕事は、公立学校での「臨時的任用」という形での教員でした。
主業務として教科指導や部活動の運営、学級運営補助などでしょうか。
僕の場合はイレギュラーな事象ですが、赴任校の都合で中学1年生の学級担任も任されていました。
「臨時的任用」についてもう少し書きましょう。これは、分かりやすく言うと教員採用試験の合格組ではない、非正規職員という雇用形態のことを指します。
民間で言うところの契約社員のような立ち位置です。
基本的には1年ごとの契約更新で、同じ学校に続けて残ることはできません。

なぜこの仕事に就いたか
決して望んだ結果ではありません。
明らかな努力不足が原因ではありますが、他に受け入れてくれる場所が無かったのです。
※教員免許は大学4年時に取得。

正規雇用者ですから、特に能力に関わる研修などは用意されていません。
そのような状態で、正規雇用者と同じタスクをこなす。
常に不安に押し潰されそうになりながら、その日その日を乗り切るだけの仕事でした。
土日も部活動の指導。
僕の専門競技でないスポーツを教える。
休みという概念はありませんでした。
また、この時ラグビーからは完全に離れていました。
大学4年が終わった頃、気持ちとしてはもっと前から「ラグビーは部活を引退したら二度とするまい」と決めていたのです。関係者の目を気にせず、正直ベースで書かせて頂くのなら「伸び悩んだ高校時代・惰性で続けた大学時代」でしたから、熱量はとうに失っていました。

こうして趣味も持たず、人との関わりも増やさず、たった一度の新卒カードをドブに捨て死んだような生活をしていました。

ですが、その年の秋頃にある出来事があり、目に光が戻ります。
次に続きます!