自分語り ポジション変遷
たまには真面目にラグビーの事でも書こうと思います。
引退を意識したところで、色々な事を思い出してる感じです。
【小学校】
僕がラグビー始めたのは7歳の時でしたね。
たまたま隣町にスクールがあったので、見学→入団となりました。
ちなみに両親ともド素人で、何故やらせようと思ったのかは分かりません。
小学1年生~5年生までプロップ
6年生はスタンドでした。
体重が60kg越えたのは4年生の時だったと思います。身長も常に1番でした。
最後にスタンドやらせてもらったのも、ボールキャリー回数増やせばサイズでゴリ押しできるからという単純な狙いからでした。
【中学校】
中学1年の夏までスタンド、そのあと県大会(3年生の最後の公式戦)で右ウイングにコンバート。
相手のプロップに足踏まれて戦意喪失してるうちにゲーム終了し、世代交代。
2年に上がる前に1センにコンバート。
そこから中学引退までずっとセンターでした。
※このあたりで170cm/70kg
【高校】
そのままセンターで入部。
毎年恒例の1年生大会で、まさかのフッカーに。。
※確か体重が重い順に数えて3番目だったから
大会終了後、パススキルの無さを指摘されフォワードに本格的に転向。
フランカーで育てられることになりました。
高2
体重も増えてきて、正式にフッカー転向。
練習試合でたまにフランカー、ナンバーエイトも。
高3
色々あって只のデブに。
フッカーのみならずプロップも。。
なぜか国体予選と関東スーパーリーグはロック。
公式戦出場は2番、3番、4番でした 笑
【大学】
やる気の無さは入学前から。
1年生の夏までに70kg台まで落とし、パチンコ部キャプテン兼アナリストに就任。
公式戦出場ゼロ、練習試合も多く見積もって10ゲーム以下。
4年の時には練習試合のメンバー入りを断るという伝説を達成。
「試合出ますか?」「いやです。」
これで認められるんだから大した物でしょう。
ポジションはすぐにフッカーやめて、そのあと3列(仮)として活動してた気がします。
うん、本当にプレーした記憶が無いです。
とりあえずパチンコとバイトは楽しかった。
【社会人】
半年ぐらいのブランクで競技復帰。
偶然の巡り合わせに魔が差しました。
クラブチームなので、助っ人やポジション調整なんて良くあります。
フッカー、ロック、フランカー、ナンバーエイトを中心に、センター、ウイングもやるようになりました。
※細かいのは省略。たぶん公式戦でプロップ以外全部やりました。
ざっと振り返ってみましたが、20数年の間に多くの人に関わってもらい、育ててもらったなと思います。
コンバートを打診される時、背番号を渡される時って必ずストーリーがあるんですよね。
また、自分がそういう機会を作る立場になったから余計にそう感じるんでしょうね。
また何か思い出したら書きます。