k619k’s blog

趣味・ライフスタイル・その他

キャリアと生き方②

①の続きです。
ファーストキャリアから長文で申し訳ないです…

2014年の秋頃、僕が卒業したラグビースクールのコーチから頼まれ、ジュニア指導に行く機会を頂きました。「まぁ、世話になった人だしな…」という程度の気持ちでしたが、特に迷うこともなく承諾し、指示されたグラウンドへ向かいました。
すると、アナウンスのミスがあったとのこと。
僕が到着したグラウンドに子供たちは来ません。
待っていても仕方がないので、帰ろうとしました。
しかし、ふと遠くの方に目を向けるとラグビーをやっている大人の集団を見つけました。
この時、何を考えていたのかは覚えていません。
ですが気がついたら自分からコンタクトを取りに行っていました。
このクラブが、ラグビーに復帰するきっかけを与えてくれた「音羽クラブ」です。
ふらっと現れた小僧を何も疑わずに受け入れてくれ、練習に参加させてもらいました。
とても良い雰囲気で、その日のうちに入部を申し込んでいました。
二度とラグビーをやらないと決めて半年程度。
本当はやりたかったのです。
ただ、真剣に向き合わない姿勢をとることで言い訳を続けていた自分がいました。

23歳の秋。今でも鮮明に覚えています。
すぐに公式戦が始まってから、背番号8を渡されました。
ブランクのせいもあってか、この8番がとても重く感じました。ですが、それ以上に期待をかけてくれている人がいること、励ましてくれる仲間がいることでシーズンを乗りきることができました。
また、シーズンが終わる頃には、学生時代よりずっと前向きな気持ちでプレーしていました。

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この環境で得られたことは、ラグビーだけに限らず社会人としてのキャリアを考える場にもなりました。
多くの大人が集まるコミュニティだからこそ、貴重な話を沢山聞くことができます。
何度か相談にも乗ってもらい、今の仕事を続けるべきか、離れて新しい環境へチャレンジするべきかを考え、答えを出しました。

「教員の仕事は今年度一杯で終わりにしよう」
こうして自分のなかで納得し、次へのステップへと進みます。


【2015年 3月】
任期更新をせず最初のキャリアを終わらせた僕がいました。
両親への説得が一番のヤマだと踏んでいましたが、理解を得るのに時間はかかりませんでした。
このあと、社会人2年目ともなれば住民税なども発生し、支払いが増えます。
恥ずかしながら、このような仕組みを全く知らずに仕事を辞めると宣言したのです。
にも関わらず、両親は利息なしの借金で良いと、金銭面のサポートまでしてくれました。

この時期から、既卒というレッテルが貼られた状態での民間新卒採用狙いの就職活動を始めました。

20代の過ごし方は、正社員として働き、世間からの承認を得ること。社内外に関わらず人脈を広げること。余暇を使ってラグビーを全力でやること。
普通のようで難しい、かっこいい大人になりたかったのです。

就職活動は難航しましたが、11月頃には行き先が決まりました。確かエントリーだけなら三桁、選考に進んだのが50社ぐらいだったでしょうか。
※自分で書くのも微妙ですが、新卒カードは本当に大事です。面接で何度も奇異の目を向けられ、つまらない問答を繰り返しましたから…


また、この間にもラグビーは続けることができ、
就職活動期間も多くの人に支えて頂きました。

このあと、③では会社員として再開したキャリアを書いていきます!

キャリアと生き方①

初投稿です。
少々重いテーマに見えますが、大した話ではありません。「この記事を多くの人に読んで貰いたい」「共感して欲しい」というのではなく、自分の振り返りを文書化して、ブレそうな時に再確認するツールにしたかった…という所です。(たまには真面目モードでね!)

自分を見つめる・行動を振り返るということは、実はあまりしません。
ただ、直近の出来事として「転職」というイベントがありましたので、転職活動→内定→前職を退社→転職先へという流れの中で、嫌でも考えなければならない時間が発生しました。
意図してやったことではありませんが、
結論として非常に良い機会になったように思います。

ここから先は、大学卒業から現在までの歩みを順を追って書いていきます。
長くなるので良いところで区切って更新します。

【2014年 4月】
4年制の大学を卒業し、この年の春から社会人となりました。
※正直、ここの話が一番かっこ悪くて
社会人のキャリアとしてカウントして良いのかを躊躇うほどのものです。

最初に就いた仕事は、公立学校での「臨時的任用」という形での教員でした。
主業務として教科指導や部活動の運営、学級運営補助などでしょうか。
僕の場合はイレギュラーな事象ですが、赴任校の都合で中学1年生の学級担任も任されていました。
「臨時的任用」についてもう少し書きましょう。これは、分かりやすく言うと教員採用試験の合格組ではない、非正規職員という雇用形態のことを指します。
民間で言うところの契約社員のような立ち位置です。
基本的には1年ごとの契約更新で、同じ学校に続けて残ることはできません。

なぜこの仕事に就いたか
決して望んだ結果ではありません。
明らかな努力不足が原因ではありますが、他に受け入れてくれる場所が無かったのです。
※教員免許は大学4年時に取得。

正規雇用者ですから、特に能力に関わる研修などは用意されていません。
そのような状態で、正規雇用者と同じタスクをこなす。
常に不安に押し潰されそうになりながら、その日その日を乗り切るだけの仕事でした。
土日も部活動の指導。
僕の専門競技でないスポーツを教える。
休みという概念はありませんでした。
また、この時ラグビーからは完全に離れていました。
大学4年が終わった頃、気持ちとしてはもっと前から「ラグビーは部活を引退したら二度とするまい」と決めていたのです。関係者の目を気にせず、正直ベースで書かせて頂くのなら「伸び悩んだ高校時代・惰性で続けた大学時代」でしたから、熱量はとうに失っていました。

こうして趣味も持たず、人との関わりも増やさず、たった一度の新卒カードをドブに捨て死んだような生活をしていました。

ですが、その年の秋頃にある出来事があり、目に光が戻ります。
次に続きます!